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3月17日

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「あのように言われるのは違和感がある」と、原発事故当時の東京電力副社長の武藤栄氏は原発事故調査委員会で発言しました。

大震災から数日後、福島原子力発電所では、全電源を喪失して炉内の核反応が制御できなくなり、メルトダウン・水素爆発を起こし、

原子炉建屋内の放射線が非常に高くなったため、一時東電は、関係者を原子炉建屋から全員退去させる、と報道されました。

事故が発生し、現場の放射線が危険になったので全員退去したのでは、暴走する原子炉を成り行き任せの“放置する”ことになるため、

当時の菅首相が東電本社に乗り込んで、「退却はありえない」と叱責した顛末についての、東電側の主張ということになるでしょうか。

しかし、武藤氏は「東電は全面撤退する気などなかった」と主張し、首相が東電に乗り込んでくることを「違和感がある」と批判しているのです。

 

「違和感がある」?では、違和感がないとは何を指すのでしょう?

原発事故というのは日常のことではなく、非常時です。武藤氏は、非常時であろうとも、天下の東京電力に首相ごときが文句を言いに来るとは何事だ、

といわんばかりで、その感覚を当たり前と考える武藤氏の言動のほうに、よほど違和感を感じます。

首相には全国民の生活を可能な限り守る使命があります。原発周辺の国民に甚大な被害が及ぶかもしれない事態において、

その事故当事者である東京電力に現状の把握と全力復旧を行わせることの確認をしに行くことに、いったい何の違和感があるというのでしょうか?

(原子力発電について、国に危機対策の方法論が確立されておらず、対策を民間の東電任せしかできなかったことは問題ですが、事故時の対策は

原発が建設され維持されてきた自民党時代の政治家が作りあげておくべきことのはずで、その義務を怠ってきたことが叱責されることがあっても

事故当時の菅首相がベストをつくそうとしたことに疑問の余地を私には感じられません。批判の矛先が意図的に捻じ曲げられているのを感じます。)

しかも、菅首相が東電を訪れた時の映像が東電本社の防犯用カメラで記録されているとしながら、音声が消去されているとのこと。

問題の本人である東電自身が自分に都合のいい部分だけピックアップ、都合の悪い部分を消去し編集したものを証拠として提出しておきながら

それを論拠とすることを疑わない感覚も異常だと思います。

 

つくづく東京電力という組織は腐っていると感じます。

首都圏の電力を担う独占企業ですから、どんなにお粗末な仕事をしたとしても最後には政府が助けてくれ、会社がつぶれることはない、という

甘えと驕りがこのような態度を可能にしているのだと思います。

 

前にも述べましたが、現状の東京電力の在り方が、東日本大震災後もなんの反省も生かされずに同じ形態で存続することはありえません。

それがあり得るならば、同じ事故が再び起こっても何の不思議もないからです。

 

電力料金を可能な限り透明化して、東京電力が使えるお金を精査して、現状擁護に使う金を断つことが、今回の事故の反省による

必然かつ最低限の改善策であることを重ねて訴えておきたいと思います。